
全国のローカル線を朱色に染め、時には紺青の海沿いを、時には豪雪の山嶺を、1基のエンジンを唸らせながら黙々と走り続けた「キハ40系」。 昭和52年(1977年)の登場以来、国鉄からJRへと時代が激変する中で、日本の原風景にはいつもこの重厚なディーゼルカーの姿がありました。
高出力化された現代の気動車にはない、どこか無骨で、どこか愛らしいあの佇まい。ローカル線の絶対的エースの軌跡を振り返ります。
■ 誕生の背景:急行型並みの快適性と、引き換えにした「重量と出力」のジレンマ
昭和50年代前半、国鉄の地方ローカル線では、戦後を支えたキハ10系やキハ20系といった一般型気動車の老朽化が深刻化していました。これらの一挙置き換え用として、満を持して登場したのがキハ40系(キハ40・47・48形)です。
当時、国鉄が最優先したのは「徹底的な安全性と居住性の向上」でした。 特筆すべきは、旅の快適性を左右するボックスシートの広さです。従来のキハ20系などが1,400mmという窮屈な座席間隔だったのに対し、キハ40系では急行型であるキハ58系と同じ「1,470mm」のシートピッチを採用。さらに車体幅も2,900mmへと拡大され、普通列車でありながら当時の急行列車並みのゆったりとした居住空間を実現したのです。
万が一の踏切事故にも耐える強固な高運転台、酷寒地での凍結を防ぐ頑丈な車体。 しかし、これらの「乗客への優しさ」と「頑丈さ」を極限まで詰め込んだ結果、車体重量は従来の一般型キハ20形の約30トン(車両によって差異があります)を大幅に上回る、約37トン(車両によって差異があります)へと膨れ上がります。ここに、キハ40系を語る上で外せない「重量と出力のジレンマ」が生まれることになります。
■ 巨体を支えた220馬力の苦闘:2エンジン車に匹敵する巨体と「DMF15HSA」の哀愁
キハ40系には、220馬力を発生するDMF15HSAエンジンが1基搭載されました。数字だけ見れば従来のキハ20系(160~180馬力)よりパワーアップしているものの、車体重量に対して、1基エンジンでは明らかにパワー不足でした。
急行型の名車「キハ58系」は、DMH17H形を2基搭載し、1両トータルで360馬力を誇ります。エンジンを2基積み、さらに冷房装置まで載せたキハ58形の自重が約40トン。
対するキハ40形は、エンジン1基、おまけに登場時は非冷房であったにもかかわらず、頑丈すぎる車体ゆえに約37トンという、2エンジン車に迫る重量だったのです。
駅を出発するたび、お腹に響くほどの爆音と黒煙を上げる割には、速度計の針はなかなか上がらない。急勾配の峠道に差し換かれば、あえぐように速度を落としていく。効率性を求める現代の鉄道では「鈍重」と切り捨てられるかもしれないその姿こそが、昭和から平成を駆け抜けた鉄道ファンにとって、たまらなく愛おしい「キハ40らしさ」そのものでした。
■ 沼の始まり:地域色と改造の「百花繚乱」
キハ40系は、総数888両が製造され事故廃車の1両を除く887両がJR旅客6社へ引き継がれました。国鉄末期からJR化以降にかけて、キハ40系はまさに「走るキャンバス」となりました。お馴染みの朱色5号(首都圏色・たらこ色)一色から解き放たれ、日本各地の特性や文化に合わせた独自の「地域色」が次々と誕生します。
さらに、平成に入るとアコモデーション(内装)の更新や、懸案だったエンジンの換装(カミンズ製や新潟鐵工所製などへのパワーアップ)が施され、外見は国鉄型、中身は現代風という独自の進化を遂げていきました。 JR各社で外観、内装、機関が様々に改造されて、この「どれ一つとして同じ仕様がない」と言えるほどのバリエーションの豊かさこそ、模型ファンや鉄道ファンを狂わせる深すぎる「沼」なのです。