私のアセット削除の告知を受け、言葉にできないほどの憤りを感じたり、『身勝手だ』と強く思われたりしている方もいらっしゃるはずです。大切に作ってきた街が変わってしまうのですから、当然の反応だと思います。そのお気持ちを痛いほど感じながらも、その根底にある『認識のズレ』について、少しお話しさせてください。
これからお話しすることは、あくまで現時点での私個人の考えです。これが業界の正解であるとか、皆さんもこう考えるべきだ、といった結論を押し付けるつもりは全くありません。
正しさは一つではなく、この記事を読んで皆さんがそれぞれに違う考えを持つ。そうした多様な視点が存在することこそが、より良い社会の形だと思っています。あくまで一つの『視点』として、お読みいただければ幸いです。
Contents
「ゲームを買う」=「モノを買う」ではない?
例えば Cities Skylines のようなゲームでは、ワークショップから建物などのアセットをダウンロードして、自分の街に配置しますよね。
このとき、多くの人はこう感じているのではないでしょうか。
ダウンロードしたのだから、自分のものだ。
これはとても自然な感覚だと思います。むしろ、そう思うのが普通です。
しかし一方で、
アセットが突然使えなくなる
更新によって消えてしまう
公開停止によって入手できなくなる
もし本当に「自分のもの」なのであれば、こういったことは起きないはずです。
ここで一つの疑問が出てきます。
ゲームのアセットは、本当に「自分のモノ」なのでしょうか?
もしかすると、そもそもの前提が違うのではないか、という話です。
まず、ゲームそのものから考えてみます。
私たちはゲームを「購入」していますが、実際にはゲームそのものを所有しているわけではありません。
実際のモノとして存在するゲームとは違い、例えば Steam のようなサービスを通してゲームを買う場合、手に入れているのは「ゲームを遊ぶ権利」です。
つまり、モノを買っているのではなく、「使っていいという許可」を買っているということです。
スポーツジムに例えて考える「利用権」
この構造は、スポーツジムに少し似ています。
ジムにお金を払えば、建物に入り、トレーニング機器を使うことができます。
しかし、その機械や建物は自分のものではありません。
あくまで「使っていい権利」を持っているだけです。
もし気に入って使っていた機械がある日撤去されたとしても、残念ではありますが、それを止めることはできません。
所有しているわけではないからです。
では、アセットはどうでしょうか。
アセットも同様に、クリエイターが「使ってもいいですよ」として公開しているものであり、所有権が移るわけではありません。あくまで「利用が許可されている」状態にあります。
「作る側」と「使う側」の間に横たわる認識のズレ
ここで、もう一つだけ背景として考えておきたい点があります。
アセットを「作る側」の人は、それほど多くありません。
ほとんどの人は、アセットを「使う側」です。
どちらもゲームのユーザー側ではありますが、何かを作る人よりも、それを利用する人の方が圧倒的に多いのが普通です。
ただ、この構造によって一つの傾向が生まれます。
それは、
「作る側の前提や制約が、共有されにくい」
ということです。
多くの人が使う側であるからこそ、
ダウンロードしたら自分のものだと感じる
消えると違和感を覚える
という感覚が、自然に広がっていきます。
これは間違っているというよりも、立場の違いから生まれる自然な認識の差だと思います。
なので、
利用許可という構造
クリエイター側の制約
といった部分は、少し意識しないと見えにくいのかもしれません。
クリエイターもまた、権利の制約の中にいる
では、少しだけクリエイター側の立場からも見てみます。
正直に言うと、私はアセットを「誰かのために作っている」という感覚は全くありません。
単に趣味として作りたいから作っているという単純な行動です。
ただし、世の中には、ユーザーのために一生懸命にアセットを作っていますというクリエイターさんがたくさんいると思います。
私は違いますが(笑)
アセットを使って頂いている人はわかると思いますが、電車も建物も自分の趣味です。需要があるなしは考慮していません。
なので、
自分が作りたい使いたいから作っている。
自分の街に置きたいから作っている。
その結果として、「よかったら使ってください」と公開しているだけです。
ここで一つはっきりさせておきたいのは、アセットは「プレゼント」ではないということです。
無料ではありますが、所有権を渡しているわけではありません。
あくまで「使っていいですよ」という許可に過ぎません。
さらに言えば、クリエイターの側も、実はそこまで自由な立場ではありません。
例えば、
実在する建物
企業のロゴ
鉄道車両
こういったものを元にアセットを作る場合、それらのデザインやブランドは、それぞれの企業や団体のものです。
つまり、3Dモデル自体は自分で作っていても、その元になっている要素については自由に扱えるわけではありません。
そのため、
ロゴ付きの建物をそのまま販売する
実在車両を商品として売る
といったことは、基本的に難しい、あるいはリスクのある行為になります。
結果として、クリエイターが現実的に持っている権利はシンプルです。
作ったデータの著作権はある
しかし利用には制約がある
そして実質的に「公開するかしないか」
この判断です。
つまりクリエイターは、
何でも自由にできるわけではない
かといって何も持っていないわけでもない
その中で「使ってもいいですよ」と許可を出している立場です。
無償だからこそ見えなくなる「権利の形」
ここで、もう少しだけ別の角度から考えてみます。
もし本当にそのアセットが「自分のもの」だと感じているのであれば、
公開停止されたときに、こういう選択肢もあるはずです。
「有償でデータを譲ってほしい」
つまり、利用許可ではなく、より強い形で手元に残したい、という考え方です。
ただ現実としては、そういった声はほとんど見かけません。
おそらく多くの場合、
無償だから使っている
手軽だから導入している
という側面があるのではないかと思います。
もちろんこれは自然なことです。
無料で公開されているものを気軽に使えるというのは、この文化の良さでもあります。
一方で、クリエイター側にも事情があります。
先ほども触れたように、実在する建物や企業ロゴ、鉄道車両などを元にしたアセットの場合、それらを自由に販売できる状況にはありません。
権利関係の問題もあり、簡単に「では販売します」とはならないのが現実です。
つまり、
ユーザー側は無償で使う前提になりやすい
クリエイター側も自由に販売できるわけではない
という構造があります。
実は同じゲームをやっていない
ここで、もう最後に一つ考えてみたいのが「時間」の話です。 デジタルデータはコピーしても劣化しません。だから「減らないんだから、いいじゃないか」という感覚が生まれやすいのも事実です。
しかし、そのデータを作るには膨大な時間がかかります。 私たちに平等に与えられた「1日24時間」という限られた時間。仕事や学業、家庭の時間の合間を縫って、制作しています。
実は、アセットクリエイターの多くは、ゲームそのものを遊んでいる時間よりも、3D制作ソフト(Blenderなど)を開いている時間の方が圧倒的に長かったりするかもしれません。
- アセットを使う側: 3時間の自由時間があれば、そのほとんどを「まちづくり」の楽しみに充てることができます。
- アセットを作る側: 同じ3時間があっても、2時間半は制作ソフトと格闘し、残りの30分でようやくゲームに導入できるかテストをする……といった配分になりがちです。
つまり、実際にゲームを楽しみ、建物に思い入れを持って使っているのは、クリエイター本人よりも、むしろダウンロードしてくださった使っているユーザーの皆様の方かもしれません。
クリエイター側としては「せっかく自分が作ったアセットを自分のゲームで使う時間がない」 そんな皮肉な状況の中で、苦労して作ったデータを「はい、どうぞ」と無条件に譲渡するのは、心理的にもなかなか難しいのが本音かもしれません。
ラーメン屋の裏側を知る必要はない
とはいえ「そんなクリエイターの裏側の苦労なんて知らないよ」と思う方もいるでしょう。それは当然のことです。使う側が裏側の事情を知らないのは、自然なことだからです。
例えばラーメン屋であれば、私たちが気にするのは「美味しいか」「安いか」「居心地がいいか」といった結果です。店主がどれだけ苦労して作ったかどうかは、本来それほど重要ではありません。結果として満足できるかどうかがすべてです。
アセットも同じです。どれだけ時間をかけて作られたものであっても、使う価値がなければ選ばれません。使う側にとって重要なのは、あくまで完成されたものの質です。
ただ、その「裏側」が見えないからこそ、今回のように突然公開が停止されたとき、困惑や憤りが大きくなるのも自然なことだと思います。事情が分からない以上、納得できないのは当然の反応です。
こうして、使う側は「消費者」としてアセットに触れ、作る側は「生産者」としての事情を抱えるという、構造的なすれ違いが生まれます。
「よかったら使って」が「自分のもの」に変わる怖さ
クリエイター側が「無料ですので、よかったら使ってください」と公開しているものは、あくまで善意に基づく「利用の許可」に過ぎません。しかし時間が経つにつれて、使う側の中でそれは「自分の街の一部(所有物)」という感覚へと変わり、認識のすり替わりが起きてしまいます。
ここで問題となるのは、その感覚に対してクリエイターがどこまで責任を負うべきなのか、という点です。
たとえ利用者が「自分のものだ」と感じていたとしても、その根底にあるのはあくまで「利用許可」という不安定な土台です。その上に築かれた感情に対して、どこまで寄り添い、どこまで自らの権利を制限すべきなのか。
「よかったら使ってください」という言葉が大きな意味を持つほどに、作り手はそれを軽々しく言えなくなっていきます。無料で手軽に導入できる一方で、その提供に対して、作り手はどこまで責任を負い続けるべきなのでしょうか。
この問いに対して、今の私はまだ明確な答えを持ち合わせていません。
アセットは「プレゼント」ではなく「許可」
ここまでお話ししてきた通り、私としての結論は、ゲームのアセットは「無償の譲渡」ではなく、あくまで「無償の利用許可」であるということです。
ただし、ダウンロードした瞬間にそれが自分の街に馴染み、「自分のもの」と感じてしまうのは、むしろ作品が愛されている証拠でもあり、クリエイターとしては嬉しいことです。
この「法的な実態(許可)」と「心の中の愛着(所有感)」の間にある、どうしても埋めることのできない認識のズレ。 それこそが、アセットが消える時に生まれる違和感の正体なのだと、今の私は感じています。
さて、個人的な決断についてですが、4月末をもってCS2のアセットをすべて削除することにしました。
削除する理由を十分にお伝えできないことについては大変心苦しく思っておりますが、現時点ではお話しできない事情があります。言いたくないのではなく、言えないのです。いつかお話しできて、皆さんにご理解いただける機会が来るかもしれません。
これだけ申し上げますが、イライラしたとか、誰かと喧嘩したとか、ゲームをやりたくなくなったといった理由ではありませんし、そのような理由であれば隠さず申し上げます。また、以下に記す自作ゲームをやるためにアセットを削除するというわけでもありません。
誰かにアセットを公開するなと言われたわけでもなく、今の私が『自分のアセットを置いておきたくない』と判断したからです。その結果として、良い街づくりのためのアセットが皆さんの街に不便を強いてしまうのは、みなさんが苦しまない方が良いのか、私が苦しまない方がよいのかと天秤にかけて、私が苦しまない選択をしましたので、私のわがままによる決断であり、申し訳なく思っています。
アセットを削除するといっておいておかしいですが、今でもCS2が良いゲームになって欲しいと思っています。
CS1のアセットは、長くアセットを公開していてたくさんのサブスクを頂いている背景もあり、今後も残しておきます。一方でCS2はまだ公開して日も浅いため、影響が最小限で済む今のうちにクリエイターが持つ数少ない権利の一つとして『公開をやめる』という選択をさせていただきました。
お手数ですが、削除の日までに建物の撤去や置き換えをお願いできればと思います。私の身勝手ではありますが、どうかご理解いただければ幸いです。
おわりに
今年の3月、Cities Skylines1のアップデートがあった際に、マップが開かなくなってしまいました。その時「自分の作った電車だけでも動かせる仕組みはないかな」と思い、AIのGeminiに相談してみました。そこで「Godot(ゴドー)」というゲーム開発エンジンなら簡単に電車を走らせることができると教わって約1ヶ月が経ちました。
Xで進捗をお知らせしていますが、これまで遊んできた「A列車で行こう」や「Cities Skylines」からは一度離れ、この自作ゲーム「ToRaiL(トレイル)」を活動の中心にしていこうと決めています。
これまでは、テクスチャ制作やアセット配布を行ってきましたが、これからは自分のプラットフォームの中で『鉄道』という原点に立ち返って、これまで作ってきた車両や、新しく作るモデルを使いながら、このホームページやX、YouTubeなどで楽しんで頂けるようにしたいと思います。
将来的に「ToRaiL(トレイル)」を皆さんに遊んでいただけるようになれば……というのは、今はまだ大きな夢物語かもしれませんが、そんな未来を目標に楽しみながら作っていきたいと思っています。
新しく始まる「ToRaiL」プロジェクト、引き続き温かく見守っていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
2026/04/19 とみてつ